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今こそマルクスの資本論の入り口を双六で

マルクス経済学はなぜ未だ幅を利かせているのでしょうか?
社会主義などのマルクスの妄想はほとんどが実現してませんよね。ソ連も社会主義は放棄して解散しています。
そんなおかしな論理をマルクス経済学として未だ大学などで教えているのは理解出来ません。

上記は、Yahoo!知恵袋の、とある質問の引用です。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11248818536?__ysp=44Oe44Or44Kv44K557WM5riI5a2m

私は、共産主義者でもありませんし、マルクス信奉者でもありません。
深く学んだことも、恥ずかしながらありません。
しかし、この質問には、承服しかねるものがありました。

SDGsやグレートリセットという言葉を、生活の中でごく自然に耳にするようになりました。
コロナ禍となって【特に】といった印象です。

さて、本当にこの質問者が主張するように【マルクスの妄想】であるならば、なぜ未だ学問として学ばれ、資本論は手に取られ続けるのでしょう。
「簡単にわかりやすく、今に時代にマッチした」といった魅力的な言葉で、新刊が刊行されるのでしょう。

資本論が刊行されたのが19世紀。
この時代のイギリスは、産業革命を迎え、農村から都市に向かって人口が流入していました。
大都市が形成され、資本家は機械制大工業の発展によってもたらされた搾取と富の蓄積を大いに享受したのですが、
現場の労働者たちは、劣悪な労働環境にあえいでいました。

あれから150年余り経過しています。
その間に資本論は、何度となく「時代遅れのカビ臭い論説」と言われ、また何度となく人々は資本論を手に取りました。
釈然としない理不尽に虐げられていると感じ、辛くなると「資本論」…といった印象でしょうか。

今まで生きてきて、マルクスの資本論は、私の記憶の中で3回ほどブームになりました。

1991年(平成3年)3月から1993年(平成5年)10月までの景気後退期を指すバブル崩壊の時期を迎えました。
半狂乱のお祭り騒ぎのような楽し気な日々はその「バブル」という言葉通り、泡と消えました。
待っていたのは、出口のわからない不景気。暗い時代でした。

そして1990年代後半。
プレカリアートという造語と共に、資本論は、若者を中心に読まれるようになりました。
この時代は、ソ連が崩壊し「資本主義の勝利」を高らかに歌い上げた時代です。

アメリカナイゼーションの席巻は日本も覆いつくし、より安い労働力を求める経済社会の中で、国内の労働者は締め出されていきました。
「大競争時代」は、弱きものを助けぬ時代だったのです。

これが私の記憶の中での最初のブームです。

2008年9月15日に経営破綻したことに端を発したリーマンショックの時代。
私の記憶の中の2度目の資本論ブームが訪れました。
が、これも経済が落ち着けば、人々は語らなくなりました。

あれだけ一般人がすがった資本論は、すっかり忘れ去られていたかに見えました。
事あらば多くの人々が資本論を手にし、落ち着けば忘れられることの繰り返し。
まるで「お願い!神様仏様!」です。
平素見向きもしないのに、困った時には「神様仏様!」と都合よくお頼りしてしまう。

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私たちなんて、そんなものです。

しかし、また再び注目されることとなりました。

三度目、コロナ禍に世界があえぐ2020年、まさに今です。
コロナ禍の只中の私たちは、人類としての「生き方」そのものを問われるに至りました。

時代を鑑みるに、一つの経済システムの崩壊にトドメを刺すが如く、「パンデミック」は起こっています。

マルクスとエンゲルスが生きた時代の都市部には、感染症が蔓延していました。
コレラ、結核が猛威を振るい、実のところ現在でも人類がコレラや結核に打ち勝ったと言い切ることはできません。
WHOの推計では、年間300-500万人がコレラに感染し、10万人から12万人が死亡しています。
それはさておき、マルクスとエンゲルスは、感染症の蔓延に直面し、14世紀のペスト大流行を慮りました。

14世紀のペストの大流行は労働者の減少を引き起こし、農業労働者の賃金を高騰させました。
困った封建領主層を救済するため、低賃金の農村労働力確保と物価統制を目的とした労働者規制法(1349年)がイギリスで発布。
労働者は抵抗し、ワット・タイラーの一揆 (1381) やジャック・ケイドの一揆 (1450) といったイギリス農民一揆を引き起こすことになります。
ここから資本家と労働者の闘争は始まったと言っても良いでしょう。

余談ですが、1833年一般工場法がイギリスにおいて成立しました。
ロバート=オーウェン・シャフツベリ伯らの尽力によるものです。
9歳以下の労働禁止・18歳未満の夜業禁止と12時間労働・工場監督者の設置などが規定されました。
1844年には婦人労働者の保護規定も定められ、1847年には10時間労働法が成立したのです。
もともと資本家階級のために生まれた労働法が、労働者の側に顔を向けた、画期的な法律でした。
日本は1911年(明治44年)に工場法が制定されました。
12歳未満の者の就労禁止、12時間労働制などが規定されたものです。
日本の産業革命は明治維新以降に訪れていますから、これで世界に後れを取っていたと考えるのは早急すぎます。

話を戻しましょう。

このペストの流行を、マルクスとエンゲルスは、「イギリスのインドに対する植民地支配の結果である」と説きます。
ペストはもともとインドのガンジス川下流限定の風土病でした。
植民地支配が齎した劣悪な環境がこの風土病が蔓延する原因を作り、イギリスにも持ち込まれたとしました。
マルクスは「NYデイリートリビューン(1853年)」の時事評論の中で「人間の苦難と非行の連帯を示す、痛烈な、きびしい実例」と言及しています。

そしてその後に発生するコレラ・パンデミックに際し、エンゲルスは『イギリスにおける労働者階級の状態(1845年)』を刊行し、コレラ・パンデミックがイギリス・マンチェスターなどの労働者の不衛生で劣悪な環境の暮らしに起因していると説きました。
労働者は資本家と闘争し、資本家自身も疫病への恐怖から環境問題への意識を高めてゆきます。
公衆衛生の発達に寄与するようになるのです。

2017年にエンゲルスの像が、マンチェスターに建立されました。
「市の都市環境と労働者・住民の生活を改善するのに貢献した功労者」として掲げられたのです。

実のところこれらは、2020年千葉県船橋で行われた日本共産党志位和夫委員長の行った講義の受け売りです。

私は再度お話ししますが、共産主義者でもなければ、資本主義の絶対的信奉者でもありません。
しかし、資本主義は社会主義及び共産主義に時として大きな影響を受けながら、社会を成熟させてゆこうとする姿を、この短い人生の中で垣間見てきました。

1917年のロシア革命は、初の社会主義国家建国につながる大きな革命です。
世界の資本家は、この流れに震撼しました。
労働者を革命に向かわせないために、労働者の地位向上や社会福祉制度の充実化を図り始めます。
「ほら、社会主義じゃなくても、皆が平等で文化的な生活ができるように努めているよ」と示したのです。

社会主義への恐怖が、資本家支配の世の中が形成するヒエラルヒーの末端に生きる人々の生活向上に寄与させることとなるというのは、大変興味深いことです。

いまコロナ・パンデミックに揺れる資本主義社会は「グレートリセット」を示唆し、アフターコロナの「持続可能で平等な世界経済を作り上げることの必要性」を模索しています。
その中で、人々は再び「資本論」を手にし、マルクスが否定的に継承した「ヘーゲルの弁証法」に、循環を求めます。

重ね重ねとなりますが、私は共産主義者でもなければ、資本主義の絶対的信奉者でもなく、ましてや経済学に明るくもありません。

ずぶの素人です。

その私ですら読み解こうとする「資本論」はあまりに難解で、入り口すらつかめません。
世の中に「わかりやすい資本論」などの著作が溢れるのは、皆が「理解したくとも理解できない」「きっといいことが書いてあるはずなのに、ゴールにたどり着けない。」ものが「資本論」だからだろうと思います。

机が踊りだしたり、なんやかやと、マルクスの比喩は大変わかりにくい。

もうちょっとどうにかなりませんかね!と言いたくなります。
「この人、偏屈すぎるわ!」
パタンと本を閉じて寝てしまいます。

そんな「パタンと資本論を閉じて寝てしまう私」にまでも、ちょっともでも、「資本論」を身近に感じられないものだろうか。
本書を読むきっかけを作れないものだろうか。
そう思案し、着手したのが「資本論双六」です。

専門家のように詳細であることは、初めから諦めています。
しかし素人である私の理解の糸口は、諸学生の糸口と同様ではないかと考えました。
ともに学習しようと作り始めたのです。

「双六の持つ潜在能力」に関しては、少々お話しできることがあります。
そこと合わせて、というより、

資本論双六の資本論の理解を助ける構造を踏襲した双六の作成です。

ただいま製作中ですが、近々お見せできるようになりそうです。
80p程度の読本と共に、遊んで学ぶ資本論双六です。

私たちは、資本論双六が完成した暁に、
「遊んで学ぶ資本論双六」を実践できる場を、切望しています。

以前制作した「WW1双六」については、幸いにも実践の場がありました。一定の成功をおさめ、大変有意義であったと先様にもお褒め頂きました。
今後もあると期待できています。
「遊んで学ぶ資本論双六」にご興味がある学校機関やサークル等、
どうぞお声がけください。お待ちしております。