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難波西鶴と海の道双六で辿る日本の海の文化史

関西学院大学 文学部 文学言語学科日本文学日本語学専修 教授 同大学院文学研究科 
教授でいらっしゃる森田雅也先生との縁は、井原西鶴著『好色一代男』でした。

森田雅也研究室HP、流通文化のページに掲載されていらっしゃる「難波西鶴と海の道」、
第一回の挿絵は『好色一代男』の主人公世之介最後の船出姿です。

関西学院大学文学部 森田雅也研究室

「あぁ、世之介だ」と眺めました。愛着を持ちながら。
双六活動をする前は主人公の名前すら知りませんでした。

当団体の前身、双六読書会・小さな靴あとの記念すべきオリジナル双六第一作が『好色一代男世之介双六』だったのです。

日本文学全集を読んでみようという読書会の先行きに立ちはだかったのは古典でした。
日本文学全集なので古典があるのは当たり前。
ですが古典作品に興味を持つ人はほとんどいません。
かくいう私もそうでした。
読書会をどうまとめようか、頭を抱えていました。

読んでみると、あれイメージと違う。ユーモラスというか、登場する花魁がかっこいい。
テンポよく読めて女性蔑視のテイストはなく、むしろ賛歌ともとれました。
どう伝えてよう。考えに考えて、浮かんだのです。

「源氏物語のパロディで54帖、双六になるじゃない」

「双六だとイラストを60枚は描かなくちゃいけないんだよ」渋るデザイナーを泣き落としで説き伏せ、作ってもらいました。

彼女は自分で、イラストレーターではないと言います。
デザイナーでもなく、どちらかと言えば、レイアウターだとも言います。

大変だったと思います。
大変だったと思うものの、今となっては彼女はこの双六を公表することを嫌います。
あまりにヤッツケで、稚拙だからだそうです。

しかし、『好色一代男世之介双六』は当会、当団体の原点です。
パッと明るい色彩に遊び心が誘われ、『好色一代男』のエッセンスを伝え、古典文学の楽しい入口となります。
そして、何よりもこれは世之介の人生双六です。
人の一生は物語になる、双六にしてみたら、どんな人生も山あり谷ありでも必ず上がる。
『世之介双六』はたくさんのことを教え続けてくれます。

私はこの「世之介双六」には、いっそうの思い入れがあります。

読書会の主催としては、私は勉強が足りませんでした。
一念発起、関西学院大学の聴講生になったきっかけは、それでした。
そこに西鶴研究の第一人者の森田先生がおられたのです。

双六を気に入って下さり、活動にも気さくにご協力くださいました。

古典を学ぶことは今の日本を知ることに繋がっています。
晩年に近い歳で古典に触れた私は、近世の活力が日本の近代化を支え、
300年続いた平和な時代が文化を育んだのだと、遅ればせながら知ることができたのです。
 
世界を巡り、巡った文化が流れ止まる場所が日本です。
日本は流れ着いた異文化を貪欲に吸収し、日本独自な感性に変え、我が物としてきました。
双六もそうです。
大陸や海から運ばれ、平和な江戸時代どこの国の双六よりも華やかな絵双六がたくさん生まれたのです。

「難波西鶴と海の道」を基に双六を製作することを、森田先生はご快諾くださいました。
その際、「海の道はアジアにも、世界にも通じていましたよ」と仰いました。

西鶴が生きた時代も、人々は各地で遠い異国を思い描き、時に船出で冒険をし、たくましく生き抜いていたに違いありません。

「これって、大型双六にもぴったりだ。」

大型双六で旅をする…頭の中でどんどんとその光景が膨らみました。

さて、この双六は、森田先生の「近世日本における船運流通ネットワーク」~難波西鶴と海の道の連載を、忠実に再現してゆきます。
17世紀後半の近世日本における船運流通ネットワークに乗って、文化の交流が行われました。
西鶴は行く先々での出来事や文化交流のこぼれ話を数々残しています。
この双六は、西鶴の海の旅の足跡を、森田先生の視点を通して辿ってゆきます。

null連載73回目 乱闘劇で「伝説の気丈な美女」に

それによってご興味を抱いていただければ、きっと連載を読む、文化に興味を持つ。という形でフィードバックされることでしょう。

私たちの活動は、あくまでも「人様のお創りになったもの」の理解の入り口を作る補助ツールと実践に他なりません。
再度、オリジナルにフィードバックさせる作業と目的が大前提となります。
決して双六が主役となることはありません。しかし、双六にしたことによって、
「今までこんなに興味深いものだとは知らなかった」
「こういったものが自分は好きだったんだ」
と、新発見と受け止めてくださることも、実際にあるのです。そして、オリジナルを手に取ってくださるのです。